「お金が引き出せない!」凍結の衝撃に備える
「通帳も印鑑も暗証番号も知っている。だから父が亡くなっても銀行からお金を下ろせばいい」 そう考えている方は多いですが、それは非常に危険な賭けです。
銀行口座の凍結(アカウントロック)は、ドラマの中の話ではありません。銀行が死亡の事実を知った瞬間、コンピュータ制御によりATMでの入出金、振込、引き落とし、ネットバンキングのログイン、その全てが物理的に遮断されます。 この状態は、遺産分割協議が完了するまで、原則として解除されません。
本記事では、口座凍結の法的メカニズムを解き明かし、遺族が当面の生活資金を合法的に引き出すための「預貯金の仮払い制度」について、実務的な計算方法を含めて徹底解説します。
1. 口座凍結の法的メカニズム:なぜ「個人」の意志は死後消滅するのか
銀行が意地悪で口座を止めているわけではありません。彼らは日本の法律に従い、自らを守るために止めているのです。
法的根拠:民法と最高裁判決の変遷
- 相続の開始(民法896条): 人は死亡によって権利能力を失い、その財産は「相続人全員の共有財産」となります。
- 最高裁大法廷判決(平成28年12月19日):
- かつては「預金は死亡と同時に、法定相続分に応じて自動的に分割される(=個別に引き出せる)」という判例がありました。
- しかし平成28年、最高裁はこの判例を変更し、「預貯金も遺産分割の対象であり、遺産分割協議が整うまでは誰も勝手に触ってはいけない」と判断しました。
- これにより、銀行は「相続人全員の同意(ハンコ)がない限り、1円も払わない」という鉄壁の運用を完全に正当化できるようになったのです。
銀行側のリスク管理
もし、銀行が安易に長男にお金を渡してしまい、後から次男が「俺の取り分がないじゃないか!銀行が勝手に渡したせいだ!」と訴えてきたらどうなるでしょう? 銀行は「二重払い」のリスクを負うことになります。だからこそ、誰が何と言おうと、書類が完璧に揃うまではロックを解除しないのです。
❓ 銀行はどこから死亡情報を得るのか?
- 遺族からの連絡: 9割以上がこれです。「父が亡くなったので手続きがしたい」という電話。
- 営業担当者の情報網: 担当者が自宅を訪問して知る、地域の顔役からの情報など。
- 新聞の訃報欄(お悔やみ欄): 地方銀行や信用金庫では、毎朝職員がチェックし、該当する顧客の口座を即座に手動で凍結します。
- 役所からの通知はない: よくある誤解ですが、市役所に死亡届を出しても、マイナンバー等の連携により自動的に銀行に通知されるシステムは(現時点では)ありません。
2. 凍結による「生活停止」のドミノ倒し
口座が止まることの影響は、単に「お金が下ろせない」だけにとどまりません。生活のインフラが機能不全に陥ります。
| 影響項目 | 具体的なトラブル | 対策 |
|---|---|---|
| 公共料金 | 電気・ガス・水道の引落不能通知が届く。最悪の場合、供給停止のリスク。 | すぐに各事業者へ電話し、支払方法を「払込票」に変更する。 |
| 住宅ローン | 返済が滞り、延滞金が発生。「期限の利益喪失」により一括返済を求められる恐れも。 | 銀行のローン担当者に死亡を連絡し、今後の返済計画(団信の適用など)を相談する。 |
| 家賃 | 管理会社への振込・引落ができず、滞納扱いに。 | 大家・管理会社へ連絡し、相続人の口座からの振込に切り替える。 |
| 貸金庫 | 金庫も凍結され、開閉できなくなる。中に遺言書や実印が入っていると詰む。 | 相続人全員の立ち会いによる開扉が必要になる。 |
3. 救世主:「預貯金の仮払い制度」の完全活用ガイド
2019年(令和元年)7月の民法改正により、遺産分割協議が終わる前でも、一定額までなら単独で引き出せる制度が創設されました。これが「仮払い制度」です。
制度の概要
葬儀費用や当面の生活費が必要な遺族のために、各相続人が「単独で」(他の兄弟のハンコなしで)、法定相続分の一部を銀行窓口で払い戻してもらえる制度です。
💰 計算式:いくら引き出せるのか?
引き出せる額は、以下の計算式の低い方の金額が上限となります。
A. 口座残高 × 1/3 × 請求者の法定相続分 B. 150万円(法務省令で定める上限額) ※ 一つの金融機関ごとの上限です。A銀行、B銀行それぞれで枠を使えます。
【シミュレーション】
- 状況: A銀行に預金1,200万円。相続人は、妻と長男・次男(子供2人)。
- 妻(配偶者)が請求する場合:
- 法定相続分:1/2
- 計算A:1,200万円 × 1/3 × 1/2 = 200万円
- 計算B:150万円
- 結果: 低い方の 150万円 まで引き出せる。
- 長男(子)が請求する場合:
- 法定相続分:1/4
- 計算A:1,200万円 × 1/3 × 1/4 = 100万円
- 計算B:150万円
- 結果: 低い方の 100万円 まで引き出せる。
必要書類と手続きの実際
「仮だから簡単」ではありません。以下の書類が必要です。
- 被相続人の出生〜死亡までの連続した戸籍謄本
- 相続人全員の戸籍謄本
- 請求者の印鑑証明書
- 申請書(銀行所定)
結局、戸籍を集める手間は本手続きと変わりません。 「葬儀代が明日必要」というスピード感には対応できないのが現実ですので、「数週間後の支払いに充てる資金」として割り切って準備しましょう。
4. やってはいけない「禁じ手」:単純承認のリスク
「キャッシュカードの暗証番号を知っているし、ATMで下ろしてしまおう」 この誘惑に負けると、法的に取り返しのつかない事態を招きます。
💀 相続放棄ができなくなる(法定単純承認)
民法921条により、相続財産を処分(消費)した時点で、「私は全ての遺産(借金含む)を相続します」と宣言したとみなされます。 後から故人のカバンから「借用書:5,000万円」が出てきても、もう相続放棄はできません。たった数万円を引き出して使ったがために、数千万円の借金を背負うことになるのです。
💀 他の相続人からの訴訟リスク
特定の相続人が勝手に引き出した事実は、通帳の履歴を見ればすぐに判明します。 遺産分割協議の席で「お前、あの日勝手に30万円抜いただろ?それを返せ」と追及され、不信感から協議が決裂、弁護士沙汰になるケースが後を絶ちません。
5. まとめ:凍結への正しい備え方
口座凍結は避けることができません。しかし、影響を最小限にすることは可能です。
- 生前の準備: 葬儀費用程度(100〜200万円)は、最初から配偶者や子の口座に移しておくか、生命保険(死亡保険金)で用意する。
- 保険金は受取人固有の財産であり、口座凍結の影響を受けずに即座に現金化できる最強のツールです(生命保険の活用(Article 45))。
- 死後の初動: 銀行に連絡する前に、必要な現金を手元に確認し、公共料金の切り替え予約を完了させる。
次章では、銀行手続きを進めるための最大の武器となる「書類」について、ドキュメントチェックリスト(Article 04) で万全の準備を整えましょう。